「これは何かの冗談ですか? 小学校「道徳教育」の驚きの実態 法よりも道徳が大事なの!? 」で考えたこと

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少し前でヤフーで盛り上がったニュースを見ての感想を。

これは何かの冗談ですか? 小学校「道徳教育」の驚きの実態 法よりも道徳が大事なの!?

 

私は多分少数派だけど、この件には同意派。この道徳の教科書には違和感を覚えた。

 

この道徳で言いたいことは、「ゆるすということ」らしい。

まぁそれはそれでいい。ミスは誰にでもあり、いつまでも引きずるのは色々と良くない。

ただ、私がもし先生の立場なら、この話に完璧に同意し、「ああ、いい話だねー」とは絶対に言えない。

 

そもそもこれは組体操かどうかは問題にしてない

これを読んで、ヤフコメとかには「組体操がダメならサッカーもダメというんですか!」とか書いてあったけど、そういうことではないと思う。

たまたま題材に組体操を選んだに過ぎないと思う。これ自体に特に意味はないし、体育と読み替えてもさほど違いはない。

子供達にとって伝えたいのは「ゆるすこと」「謙虚な心を持ち,広い心で自分と異なる意見や立場を大切にしようとする心を育てる。」ということらしいから、別に題材はなんだっていい。サッカーだろうがじゃんけんだろうが、そういうことさえ伝えられればいい。当然わざわざ骨折させなくてもいい。

素直に読めば、「そういうもんだ。道徳は大事だ。」とかなるんだろうけど、ちょっと待てと。

 

この物語は先生には続きがありませんか?

この話は、当事者同士はここでちゃんちゃんで終了。許し合うことは大切ですよ、でいいだろう。素晴らしい広い心だ。是非大切にしてもらいたい。

 

でも、先生方、もしくは仕事をしてる方は立ち止まって考えるべき。この物語には続きがあるってことを。

当然事故が起きてしまった訳だから保護者への説明もあるだろうし、再発防止策も考えなければならない。教育委員会にも説明が必要なのかな?ましてや骨折ともなれば賠償金なども発生するだろう。色々な手間が増えてしまうし、もしかしたらネットでネチネチと叩かれるかもしれない。

これはどこの会社でも同じ。

「プロジェクトが炎上してみんなで寝ずにデバッグした。お客さんへ迷惑かけたけど、最後は素晴らしいチームワークだった。このチームは最高だ!」とかならない。お花畑もいいとこ。そんな会社は信用を失って早晩潰れる。

必ず振り返り、どこが悪かったのか、なぜもっと早く手を打てなかったのか、どうすべきだったのか、ということを怒られながらやることになるだろう。

 

「これは大人同士の話だろ!」というのはその通り。

子供同士がやれ賠償だ、裁判だ、とはならないだろうし、多かれ少なかれこの話に近い結果になるのではないかなと想像される。当事者同士が心から納得するかどうかは別にして。

 

先生方はこれでOKなの?

私が一番違和感を感じたのはここだ。

この話は先生の立場から考えると、間違いなくNGの事象。書いてある通り、安全配慮義務違反とか損害賠償を請求されてしまう事だろう。

これを読んで、「自分がもし先生の立場だったら?」とどうしても考えてしまう。これは社会人になっているからだろうけど。

そう考えると、先生だってこの話を読んだら「これ、いいのか?自分だったらどう対応すればいいんだろう?子供達はこれで許されても私は許されるのか?」となるべきで、「この話を教科書にして道徳を教えて下さい」と言われたら、素直に受け入れ難い。だって自分にとって不利になるのは明白だから。先生にとっては避けたい事故であり、心から「皆さん許しあいましょう」と教えられるのか?

私なら無理だな。先生として教壇に立っている以上、その先を見てしまうし、見るべきだと思う。

 

 

 

それでもこの教材にしたというのは、先生方は「学校の出来事は学校でなんとかすればいい」と思っていらっしゃいませんか?と問いたくなったのだろう。この方も。

少なくとも私だったら絶対にNGを出す内容だ。

 

これをいい話ということで肯定してしまったらいけない。少なくとも大人なら。

だったら先生もそうあるべきで、もしこれが何の疑問も無く教材として通過しているとしたら、その決定に疑問の1つも投げたくなる。

 

この話が通用するのは学生時代まで。そんな短期間しか通用しない道徳を教えてどうする。

極めて特殊な例を教えているのであり、「学校特有の道徳」と言われても仕方ない文章だと感じた。


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